HOME | 解説⑤古墳の副葬品 1

古墳には何がおさめられる?①

 古墳に納められた「副葬品」についてお話していきたいと思います。
 現代人の我々の感覚からすると、亡くなった人の棺の中に入れるものとしては、故人の思い出の品や、花などの飾りが思い浮かぶかと思います。
 では、古墳に葬られた人々の棺やそのまわりには、どのような副葬品がみられるのでしょうか?

時代によって副葬品は大きく変わる!

 前にも触れたように古墳時代は300年以上も続きます。そして、これだけ長いのですから、納められる副葬品も、移り変わっていきます。
 古墳時代を三つに区分した、前期・中期・後期のそれぞれに、特徴的な副葬品の傾向がみとめられます。さらに、副葬品の変化は、大規模古墳が集中するいわば「古墳の中心地」が移り変わるのと、おおむねリンクしているのです。
 そこで今回は、古墳時代前期の副葬品の特徴と、社会とのかかわりについてみていきたいと思います。

古墳時代前期の副葬品

1)鏡

 古墳時代前期は「銅鏡の時代」といっても過言ではありません。いちばん有名な「三角縁神獣鏡」(さんかくぶち・しんじゅうきょう)をはじめとした、たくさんの鏡が前期古墳には副葬されました。
 これらの古墳に副葬された鏡には、どのような意味があったのでしょうか?鏡は姿見(すがたみ)として自分の顔をみたりするもののように思いがちですが、この時期の鏡はやや凸面をなして、顔を映すと、やや歪んでしまいます。実は太陽の光を反射させたりして、そのキラメキこそが大切な部分で、祭祀に用いられていたと想定されています。ただし、そこには単なるきれいなマツリの道具という以上に、さらに重要な意味があるのです。少し掘り下げて見てみましょう。

「モノを手に入れる」にも2種類ある!

 現代の大富豪を例に考えてみましょう。
 ある大富豪が高級車を乗り回していても、その大富豪が高級車メーカーそのものと特別な同盟関係にあると考える人は少ないでしょう。
 これは、大富豪が高級車を入手する際に、それなりのお金を支払っている、いわば単純に「買った」ものだからです。(もちろんスポンサーであるなどの特殊なケースはありますが…)
 一方で、例えば勲章や、映画賞などのトロフィーについては、これらはお金では買えないものです。つまり、高級車とは違って、「お金にかえられない価値」を持っているといえます。

 これらのアイテム(勲章やトロフィー)には、それを与えた側の人物(組織)の権威が含まれているのです。
 古墳時代の三角縁神獣鏡などは、それを管理するヤマト政権の中枢から、それぞれの地域の首長に分け与えられたものという説が、有力視されています。
 つまり、当時の首長がそれぞれ勝手に買ったりしたのではなく、ヤマト政権という権威が、首長のことを認める証拠として授与したのではないかと想定されています。政治的な同盟関係のあかし、とも言えるでしょう。
 三角縁神獣鏡などの鏡には、単に高価さやマツリの道具という意味だけでなく、こうした政治的意義も含まれているようなのです。
 奈良や京都、大阪といった、後に「畿内」(きない)と呼ばれる地域では、この鏡を何十枚という数で副葬する古墳がみられます。そしてこれらの古墳をつくった勢力が、三角縁神獣鏡を各地の首長たちに分け与えたと考えられています。
 他にもこうした性格をもつ副葬品としては、前期でも中頃以降、「鍬形石」(くわがたいし)などの緑色の石でつくられた腕輪(腕輪形石製品)がみられるようになります。

写真の左端が鍬形石(くわがたいし)(滋賀県 雪野山古墳出土)

2)武器・武具 

 前期古墳からは、鏡などの「呪術(じゅじゅつ)的」なもの以外にも、たくさんの武器・武具も発見されています。
 前期古墳からは、しばしば、弓につがえる矢の先端につけた「鏃(やじり)」が見つかります。鏃は鉄や銅でつくられることが多く、何十、何百という点数が同時に副葬されることもあります。
 これらの鏃一点一点は、長さ数センチという小さなものですが、よくよく観察してみると、非常に凝った造りをしています。
 例えば、鏃の真ん中には縦方向に、「鎬(しのぎ)」が施されることがあります。この鎬のおかげで横断面がひし形になり、立体的な形状になるのです。とても小さなものにも手間をかけている様子がよくわかりますね。
 このほかにも、矢を収納した容器(靫、ゆぎ)や、小さい鉄板を綴じ合わせてつくったヘルメット形のかぶと(小札革綴冑、こざね・かわとじ・かぶと)、鉄製の刀剣、盾などといった様々な武器・武具が、前期古墳には納められています。
 ここに挙げた「小札革綴冑」は、実は中国の王朝からもたらされた特別な武具であると考えられています。先の三角縁神獣鏡とあわせて、前期の副葬品の多くは、中国の王朝とのつながりをあらわしているといえます。
 このことは、中期の副葬品を考える際に、とても重要なポイントになります。詳しくは古墳には何がおさめられる?②でふれる予定ですので、みなさん頭の片隅に入れておいてくださいね。

副葬された大量の銅鏃(滋賀県 雪野山古墳)
 
玉手山古墳群からの眺望

古市古墳群の近くの前期古墳

 今回のプロジェクトの対象である古市古墳群は、「古墳時代中期」に展開した古墳群です。
 しかし、古市古墳群のまわりには、それに先立つ前期の古墳群も存在します。特に古市古墳群のすぐ東にある玉手山(たまてやま)丘陵の上には、玉手山古墳群と呼ばれる、近畿でも有数の大古墳群が存在しています。
 いくつかの古墳にはのぼることができ、古市古墳群をはじめ大阪平野を一望できます。
 また玉手山古墳群の北側、大和川沿いには松岳山(まつおかやま)古墳があります。この古墳では、古墳の中はどうなっている?①でも写真をご紹介しましたが、最古級の「長持形石棺」を今でも見ることができます。
 このエリアにかつて所在した前期古墳、「ヌク谷北塚古墳」と「駒ヶ谷宮山古墳」は、実はかつて大阪大学が発掘調査を実施した古墳です。大阪大学では、今回のプロジェクトで主な対象とした野中古墳以外にも、大阪などに所在する多くの古墳の調査をしています。

古墳時代中期の副葬品とは?

 玉手山丘陵の前期古墳からは、鏡や腕輪形石製品などが発見されていますが、その一方で玉手山からは眼下にひろがる古市古墳群をはじめとした中期古墳からは、ガラリと異なる副葬品が納められるようになります。
 いったいどのようなものなのでしょうか?古墳には何がおさめられる②でみていきましょう。

野中古墳コンテンツ

プロジェクト概要

大阪大学が発掘調査をおこなった野中古墳の出土品をもとに「古墳の価値を未来に―出土品の3D計測プロジェクト―」を実施しました。その概要をお伝えします。

 

百舌鳥・古市古墳群

野中古墳を含む、大阪府の百舌鳥・古市古墳群は、2019年7月6日にユネスコ世界文化遺産に登録され、注目を集める日本最大級の古墳群です。 

 

野中古墳3D映像

野中古墳から出土した豊富な武器・武具類。その一部を3D映像でご覧いただけます。

 

解説!古墳時代

みなさんに古墳のことを知っていただくために、古墳の形、装飾、副葬品や百舌鳥・古市古墳群について解説しています。